SEAT 6
山中も知らなかった
「みんな嘘をつくの。
優しい嘘をつく。
周りを困らせないように嘘をつく。
その嘘に気づくと私は悩んじゃう。
困らせないようにして、ついてくれた嘘で私は悩むの。
嘘。
どうせなら優しい嘘でずっとだましていてほしいわ。」 昼間に呼び出されて喫茶店で母に会うことになった。
「またかな」
私はそう思っていた。
この喫茶店はすごく落ち着いていて、こじんまりとした所で、
有名なエッセイストがここで母の大好きな本を書いていたと聞いて、ミーハー心丸出しで母が見つけた場所だった。
壁にはそのエッセイストがこの店の窓から夕日を眺めてる写真がある。
一歩入るとコーヒーのいい匂いがする。
壁には長い時間をかけて出来たけして汚い感じではない汚点(しみ)があって、入り口の向かい側に動かない大きな古時計がかかっている。
古臭い感じの上品さがあって、だけど気取ってない。
そんな雰囲気が好きで私は一人でもよくここに来ていた。
そして母が私をここに呼び出すときは恋愛で上手くいかなかったり、なにか悩んでいるときだった。
でも私は母とこの店に居るときは少しだけ心が躍った。
母親の恋愛話を聞く、とか、椿の子育てで悩んでいたり、と言うのを娘に話すのは世間からは異質なんだろうけど、
私はとても素敵なことに思う。
なので嫌な気にはならない。
むしろ少し幸せな時間だと思っていた。
嘘のない親子の会話。
父親が居たら絶対にできない話を私達はよくここで何時間も話したりしていた。
父と別れてすぐの頃
「父親と息子だったら絶対こんな話できないわよ」と言ったそのときの母はちょっぴり誇らしげだった。
つられて私も、「こんな関係もいいかもな」とその時思ってしまったのかも知れない。
何にせよ。
私達、親子の絆を深める行為が「この喫茶店で行われる」ということであって、
少しだけ世間ずれしているが、二人が共感しあえるとてもいい「親子の時間」でもあった。
私は喫茶店に向かう途中そんなことを考えながら歩いていた。
そうなのだ…
こんなのんびり考えていたのだ。
私は勘がいいほうではない。
このとき私は母がどんな事を伝えようとしているのかなんて知らなかった。
母と、
私と椿、それと山中と。
大切なものを失う事を知らなかった。
私が店について、いつものホットコーヒーを頼んだあと、母は言った。
「もうすぐ死ぬらしい。」
「え?」
一瞬『死ぬ』という意味が分からなかった。
「お母さん。」
一つため息をついて。
「もうすぐいなくなっちゃうの。」
母が言った後ぼんやりとしていた喫茶店の温度が消えて、
そのとき周りの空気は動くのをやめたように感じた。
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