SEAT 7
山中は知っている
「いなくなる」と母が言ったことについて、
私はまだ事態をつかめていなかった。
死んでしまう?
「冗談でしょ?」
私は聞いた。
「本当よ。」
母は少し下を向きながら微笑んで答えた。
「だって、今もピンピンしてるじゃない。」
「お母さん痛みとか、そういうの鈍いからね。自分の身体の事気づかなかったのよ。」
「気づかなかったって、何よ、話が何にもわかんないよ!ちゃんと説明してよ!」
「そうね。どこから話そうかしら。
私自身混乱していて上手く話せないかもしれないけど、わかんないところは鈴鹿が勝手に解釈しておいてね。何度も話したいことじゃないから。」
そう言った母は落ち着いているように見えた。
「勝手に解釈って、人事じゃないのよ? 何でそんな風に言えるの? いきなり訳のわかんないことを聞かされる私の身にもなってよ。」
私が言いかえすと
「少し黙って!!」と 母が怒鳴った。
店中の人がこっちを見た。私もドキッとして身体が硬直した。
「言ったでしょ。何度も言いたくない話だって。自分がいなくなる話を娘に言うんだから。だから、ちゃんと聞いて。」
「ちゃんと聞いて」と言った母は、私が今まで見たことのない顔をしていた。
それは母親の顔ではなく、辛い現実を背負ってしまった一人の人間としての顔だった。
じゃ、話すねと言って母は話を続けた。
「椿が入院してる時にね。少し体調悪くなった時があって、せっかく病院にいるんだからって思って観てもらったの。乳癌、だって。」
「あの時からだったの?」
「そう。お母さんTVでしか癌なんて聞いたことなかったからちょっと信じられなかった。
それでしばらく暗くなったわ。
あれほど暗く落ち込んだのなんてお父さんが浮気した時以来よ。
死ぬなんて、なかなか考える事ないじゃない?
だからこれから起こる事がどういうものなのか、どうなっちゃうのかってことがわからなかった。
どうすればいいのか。あんたたちに何を残してあげれるか。
もちろん山中君もうちの子だと思ってるから彼を含めてね。
でもね。わかんないの。何も考えられないの。」
母は一口、コーヒーを飲んだ。
「そりゃあ、そうよ。」
何も思いつかない私は間抜けな返事をした。
「それからいろんな人に相談したわ。
でも、結局答えは出ないの。
だからあなたたちの自由にしてくれていいわよ。」
「自由にしていいってどういうこと?」
「あのね、お母さんこういうことがあるといけないからって生命保険を結構頑張って高額のかけてたのよ。だから当分お金には困らないわよ。しばらく山中君にもうちにきてもらってあんたたちだけで暮らして。葬儀が終わって
生活が落ち着いてからまたあんたたちで決めればいいと思ってる。
山中君は葬儀の進め方も知ってるし、やろうと思えばなんでも器用にできる子だから。だから後のことは任せちゃう。
あんたたちならきっと出来ると思うから。」
私は、 私はどうしたらいいのかわからなかった。
だから私は自分の願望だけを聞き返した。
「治らないの?」 と、
「もう末期で全身に転移済みよ。」
母はサラサラとした笑顔で言った。
私は黙りたくなかった。声が聞こえなくなるのが怖かった。
母がこのまま死を受け入れることを認めたくなかった。
「でも!!」
勢いよく出てきた声に、私はまだ母に対する自分の理想を話した。
「でも治った人もいるんでしょ?治らないなんてことはないよ。治療を続ければ治るよ!きっと大丈夫だから死ぬなんて考えちゃダメだよ。」
「相談した友達も、みんなそう言ったわ。」
「そうよ。きっと治るわよ。」
母は目を伏せた。
「もう疲れたの。」と言って、続けた。
「みんな嘘をつくの。優しい嘘をつく。周りを困らせないように嘘をつく。
その嘘に気づくと私は悩んじゃう。
困らせないようにして、ついてくれた嘘で私は悩むの。
嘘。
どうせなら優しい嘘でずっとだましていてほしいわ。」
母は、 自分の人生で一番かも知れない悲しい出来事を話していた。
でも母の顔は、そのときずっと、どこか優しかったように思う。
現実の残酷さ、それが重く私にのしかかってきていた。
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